駆け抜けた”天才” ジル・ビルヌーブ (その6)

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1981年、スペインGPにて。126CKを駆るジル・ビルヌーブが4台を後方に従えたまま最後まで押さえ切り、見事チェッカーを受けたレース
(写真は"autosport.com"より)

"YouTube"の動画より、1981年、スペイン・グランプリでのジル・ビルヌーブが4台を押さえ切り見事優勝を果たした時の映像
YouTube - F1 1981 Round7 Spanish Grand Prix

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”No.1”になったジル

翌1980年のフェラーリ・ワークス・マシンは改良型の312T5。だが、フェラーリ陣営は前年と打って変わって低調なマシンに泣いた。312T5の「走安性」がどうにもこうにも定まらなかったのだ。

ジルは5位・2回、6位・2回入賞するのがやっとで、ランキング10位、ナンバー1のシェクターは5位が1回の19位で終わっている。ちなみに、80年のチャンピオンはウイリアムズFW07(やはりウイングカー)に乗るアラン・ジョーンズである。

1981年は、やがて吹き荒れるターボ旋風の不気味な前年に当たった。フェラーリも、80年の予選時にターボカーをトライし、この81年シーズンに本格的に投入した。タイプ名は、それまでとガラリ変わり「126C」。1500cc・V6エンジンにKKK製ツイン・ターボを装備している。ハイパワーで、しかもV6のためコンパクトにシャシーに納まっている。(自然吸気方式は水平対向12気筒)

しかしエンジンの取りまわし部品などを含め、いかんせん重く、したがって燃費が悪い。ジル・ビルヌーブはこの年、ナンバー1となっており、新加入のデディエ・ピローニとグランプリを戦った。そして、ジルの走りの伝説がここから始まった。それは、第7戦スペイン・グランプリで十二分に発揮された。


(残念ながら、私は「モノローグ」の項でも記したが、1974年以降、いったんモーターレーシングの現場から離れている。1976年と1977年の「F1inJapan」(富士スピードウェイ)は、取材をしたが、以降1987年までF1の実戦現場には行っていない。したがって、その後のジルの走りについてはまったく見ることもなく、ジャーナリスト仲間、カメラマン等の話、資料、その他によって記すことになる。”テーマの走りという性格=重要性=からも今回は”あらかじめ、この事をお断りしておきたい)
※ここでいう"私"とは、白井景氏のことです。



生まれ出た「走りの伝説」

タイプ126Cのマシンは、重く燃費が悪いというに止まらなかった。直線スピードこそ、ターボ・パワーにものをいわせて突っ走るが、コーナー、特にテクニカルな部分が重複するコースには弱点がモロに出る。幸運にも第6戦モナコ・グランプリを制したジルは、第7戦スペイン・グランプリ(6/21)にそのままの勢いで臨んだ。

舞台のハラマ・サーキットは、モナコとまったく同じ1周3.312kmのコース。モナコ同様、テクニカルなレイアウトだが、割と長い直線部と数多くのツイスティな部分とを組み合わせた、いわばトリッキーなコース。モナコと同じく、ターボ・チャージド・フェラーリ126Cにとっては、不得手なサーキットには違いない。

しかし、こんなコースだからこそ、ジル・ビルヌーブの真価が発揮されたというか、伝説の走りが見られたというか、とにかく「カウンターステア」のジル・ビルヌーブが、十二分に印象付けられた1戦となったのである。

直線は、ターボ・パワーが勝った。しかしコーナーにはいると126はブレた。80周・264.970kmのレースも、残り少なくなった。トップはジル・ビルヌーブ。追うはウイリアムズ/DFVのカルロス・ロイテマン、リジエ/マトラのジャック・ラフィット、マクラーレン/DFVのジョン・ワトソン、ロータス/DFVのE.デ・アンジェリスの4人。

あるカメラマンの目撃談によると、それでもコーナーのイン側はいつも開いて(開けて)いたという。それが、抜きたいドライバーへの(まして、それがベテラン・ドライバーであればあるほど)、ジルのいつもの(少なくとも1~2年間の)”礼儀”だというのだ。

そんなことが本当にあるのだろうか?私は一瞬聞き返したほどだ。カメラマンの話はこうだ。126Cのハンドリングは悪く、直線のギャップでも飛び跳ねていたという。それを修正するために、ステアリングを握る手は、絶えずクロスして見えたという。

直線でこうだから、コーナーでは推して知るべしだ。暴れ馬を御すように、カウンターを当てコーナーをまわっていく。こんな状態だったから、もし他車がインに割り込むチャンスがあったとしても二の足を踏んだのかも知れない。

だが、この日のジル・ビルヌーブのドライビング(コーナリング)は、100%みごとにカウンターステアが決まっていたという。それも全コーナーに渡っていた。それは、とてつもない、完璧なマシン・コントロール・テクニックだったということだ。

こうしてジルは、このハラマのレースを1時間46分35秒1(149.156km/h)のタイムで、一度も抜かれることもなく制して終わった。

こう見てくると(話を聞いていると)、粗っぽさばかりが脳裏に焼き付いていたジルとは、正直言って全然違う。だからといって、ヨッヘン・リントやロニー・ピーターソンの超ダイナミックな(カウンターを当てた)走りとは、どこかが違う気がする。

そのカメラマンが言った。「少なくとも、あのレースの、あの走りはダイナミックな中にもマイルドさが出ていて、ベテランの風情があった。ジルはまさに天才だね」

ジル・ビルヌーブの1981年シーズンは得点25の7位で終わった。

『続く』

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1981年、スペイン・グランプリを疾走するジル・ビルヌーブ
(写真は"autosport.com"より)

モーターレーシング歴史館より

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