駆け抜けた”天才” ジル・ビルヌーブ (その2)

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フェラーリ312Tのコクピットでクルーと打ち合わせをするG.ビルヌーブ。
photo:東映配給「Pole Posision」プログラムより


最終戦/日本グランプリに来日

4ヶ月後の10月始め、母国で行なわれる第16戦カナダ・グランプリ(モスポートパーク)にジル・ビルヌーブは、フェラーリ・チームのナンバー2ドライバーとして「312T2」のコクピットに納まっていた。本人の話によれば「フェラーリ以外のチームからもオファーはあった」というのだが....。

それはともかく、彼は同年最終戦/’77日本グランプリ・レース(10月23日)に312T2と共にやってきた。

富士スピードウエイ右回り4.3kmコースで行なわれた同レースは、私も取材し、驚異のルーキーに、それまで言われてきたことと違う印象を受けたのを今でも思い出す。
取材仲間とも当時話したものだが、ジル・ビルヌーブのこの時の走り(練習、予選、決勝を通して)は、はっきり言って、もたもた感と、これとは矛盾するが、実に粗っぽいというものであった。

この時点では、カウンターステアを当て巧みにコーナリングする、といった格好のいいものではとてもなかった、と思う。

ヨッヘン・リント、ロニー・ピーターソン、ジェームス・ハント等々、カウンターステアを使い、ダイナミックにコーナーをまわる猛者のテクニックを見せつけられてきたわれわれにも、一目でそれは未熟に見え、くどいが、ただ粗っぽかった印象が強い。

しかし、それも無理のない話であろう。F1デビュー戦からたった6戦め、しかも名門ワークス・フェラーリのハイパワー・マシンに乗ること2戦め、前戦のカナダではスピンが多かった反省点もあろうし、まったく初めてのコースでもある。あるいは、いいところを見せて期待に応えたい、との気負いもあったかも知れない。

しかしながら、その後1987年まで日本グランプリを凍結させることになる、あのアクシデントの1件さえ起こらなければ、そんな走り方など、まったく些細で、のちのちの笑い話で終わるはずであった。

『続く』

モーターレーシング歴史館より

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この記事へのコメント

2007年05月07日 22:37
好きなドライバーの一人です。ただ当時は一時的にレースへの興味が落ちた時代だったのかCGやAS誌は買っていたんですがあまり記憶に残っていません。近年,古いレースを調べ直すにつれ好きになりました。特に1979年のフランスGPでのフェアなファイトは大好きです。
2007年05月09日 03:09
lotus49fordさん
アルヌーとの2位争いの激しいバトルが見られた好レースですね。近いうちに何らかの形で、どちらかのブログで取り上げたいと思います。

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