駆け抜けた”天才” ジル・ビルヌーブ (その4)

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母国カナダ・グランプリで初優勝を果たし、表彰台の中央で喜びを表すジル・ビルヌーブ("autosport.com"より)

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母国カナダで初優勝/喜びの裏で

1978年、フェラーリ312T3とカルロス・ロイテマン(No.1ドライバー)、それにジル・ビルヌーブのグランプリが始まった。

タイプ312T3のトータル・パフォーマンスはすばらしい出来映えであった。ロイテマンの優勝は4回(1/28ブラジル、4/2西アメリカ、7/16イギリス、10/1東アメリカ)で、その他の入賞を合わせ総得点48・ランキング3位。

いっぽう、ジル・ビルヌーブはというと、第1戦1/15アルゼンチンで早くもファステスト・ラップを叩き出すなどの活躍を見せ始め、第4戦/西アメリカでは予選2位から、永らくトップ・リーダーの位置を守っている。そして第6戦ベルギーでは4位となり初ポイントを挙げた。

第12戦オーストリア3位、第13戦オランダ6位を経て母国10/8カナダ・グランプリ(最終戦)を迎えた。グランプリ挑戦を続けるごとに、早さの証明であるフロント・ロウの回数も増していた。モントリオールの、ジルを応援する数多い(地元)ファンも、シーズンの流れから好結果を期待していた。

が、まさか出走22台中(終止ダイナミックな走りをつづけ)、トップでゴール(完走12台)するとは、どれほどの人が思っていたか?そのまさかが、現実のものとなったのだ。熱狂する地元ファンにもみくちゃにされながら、しかしジルは、喜びの裏で冷めていた。

「粗っぽい、危険な走り」の喜ばしくない評判は広く世間、そして地元にも知れていた。彼にすれば、いつの場合も、あくまでも(めいっぱい)アグレッシブな走りに徹していた、という思いが強い。、事実、言葉少なにそのように表現もしている。

いっぽうで、ハラハラドキドキもののジル・ビルヌーブの、才能を買っていたのは御代エンツォ・フェラーリだったとも言われている。

いずれにしろジルのグランプリ・フル参戦初年度は終わった。総得点17で、ランキング9位であった。

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『続く』

モーターレーシング歴史館より

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母国カナダ・グランプリを快走するジル・ビルヌーブ


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