駆け抜けた”天才” ジル・ビルヌーブ (その3)

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1977年F1日本グランプリ・レースを走るジル・ビルヌーブ
"autosport.com"より

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1977年F1日本グランプリ・レース決勝グリッド
上位8台+19位~(中略)
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「フェラーリ312T2」宙を舞う

再度、日時を記す。
1977年(昭和52年)10月23日午後1時ジャスト。快晴の富士スピードウエイ、コース脇の信号灯が赤~黄、そしてグリーンへと変わった。23台のマシンが一斉に唸りを挙げ、ブラックマークを残しグリッドを後にした。

アクシデントは6周めに起こった。第1コーナーへの突っ込みで、ジル・ビルヌーブの真紅のフェラーリ312T2が、ロニー・ピーターソンの青・白色6輪ティレルP34/2に追突した形となったのだ。しかし、これがただの追突では終わらなかった。

フル回転する後輪タイヤに、これまたフル回転する前輪タイヤが接触したから、たまらない。
フェラーリ312T2は、宙を舞った。そしてボディは反転して、”立ち入り禁止区域”にもんどり打った。

そこに人さえいなければ、マシン同士の接触事故であるいは終わったかも知れない。しかし現実には、不幸なことに、そこにかなりの観客が存在したのだ。入ってはいけない、最高の見物席。結果的に死者2名、重軽傷者9名を数えるに至った大惨事は、のちに観客整理責任が問われ、裁判まで発展した。


予選19位からのスタート~事故。その意味は?

なぜ、事故の様子を記したか?
いってみれば、私も含め、日本グランプリ直前に言われていた”天才”イメージが、この事故を起こしたことで輪をかけて?マークをつけざるを得なくなったからである。

予選通過19位は、慣れていない、しかもハイパワーのマシン。これを操るコースもまったく初めての経験。初めてずくしだから、これらを差し引いて見なければジルに気の毒。事故もそうだ。予見・予測ができないからこそ、不可抗力で起こるのだ。といった見方もあるかも知れない。

だが、F1ドライバー(パイロットと表現する人もいる)は、片方で「グレーデッド・ドライバー」といわれるくらい、世界で選りすぐられたプロフェショナル集団であることは、説明するのも野暮であろう。たとえ後方を走っていたとしても、グレーデッド・ドライバーなのであり、誇り高いプロ・ドライバーなのである。なにかが違う。どこか、それまでのF1ルーキーとは違う。そういう印象で、取材をひとまず終えた記者も事実多かった。

だがジル・ビルヌーブの真価(評価)は、我々記者のの見方とはまったく違っていたようだ。
それが、やがて明らかになる日がくる。順を追って記そう。

『続く』

モーターレーシング歴史館より

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