テーマ:伝説の名ドライバー列伝

「F1の荒法師」 ナイジェル・マンセル (最終回)

一転,CARTに出場、チャンプに そのひとつの結果であろうか、ナイジェル・マンセルは1993年、つまりチャンプになった翌年、アメリカのCARTに出場しているのである。そしてチャンピオンに。 94年シーズンも途中までCARTで戦い、セナ亡き後ウイリアムズ・チームで4戦、翌95年はマクラーレン・チームのマシンにも乗っている。…
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「F1の荒法師」 ナイジェル・マンセル (その4)

ウイリアムズFW14/ルノーをドライブするマンセル。  1991 FUJI TV 日本グランプリ プログラムより ランキング4位、5位、2位、そして王者に! 1989年、フェラーリ・チームに移籍。が、「タイプ640」の調子が全体的に良くなく(特にミッション系のトラブルに泣かされた)、期待ほどの成果は上がらなかった(38…
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「F1の荒法師」 ナイジェル・マンセル (その3)

どこまでも「つきのない」マンセル 1985年、マンセルはウイリアムズ・チームに移籍した。そして10月6日、ブランズハッチのヨーロッパ・グランプリでF1初優勝(FW10/ホンダ)を遂げている。 ロータス97T/ルノーに乗るセナ、ブラバムBT54/BMWのピケと激しいバトルを繰り広げ、ダートに車輪を落としながらもトップを守り切っ…
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「F1の荒法師」 ナイジェル・マンセル (その2)

ガソリン漏れのコクピットのなかで...... マンセルの走りに惹かれていた男がいた。チーム・ロータスの総帥コーリン・チャップマンである。チャップマンは、まずマンセルにロータスのインスペクターの仕事を世話した。元々マンセルは、流体力学を専攻するエンジニアだったからである(23歳当時)。 翌1980年、ロータス・タイプ81のマシ…
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「F1の荒法師」 ナイジェル・マンセル (その1)

伝説の名ドライバー列伝、今回は、ナイジェル・マンセルです。個人的には、歯に衣着せぬ語り口や走りも含めたキャラクターが今のF1では見ることのできない個性であり、非常に好きなタイプのドライバーです。最近では、2人の息子がともにレーシングドライバーとして活躍しています。それでは、今回から何回かに分けて掲載していきたいと思います。 ◇  …
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駆け抜けた”天才” ジル・ビルヌーブ (最終回)

1979年、ウエスト・ロングビーチでのジル。このときのUSグランプリで、ジル・ビルヌーブは優勝を果たしている。 (写真は"autosport.com"より) ◇    ◇    ◇    ◇    ◇ 感動を与え続けてくれたジルに深く感謝! だが、翌1982年、第4戦のサンマリノ・グランプリ(4/25)で、同僚のピロ…
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駆け抜けた”天才” ジル・ビルヌーブ (その6)

1981年、スペインGPにて。126CKを駆るジル・ビルヌーブが4台を後方に従えたまま最後まで押さえ切り、見事チェッカーを受けたレース (写真は"autosport.com"より) "YouTube"の動画より、1981年、スペイン・グランプリでのジル・ビルヌーブが4台を押さえ切り見事優勝を果たした時の映像 YouTube -…
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駆け抜けた”天才” ジル・ビルヌーブ (その5)

1979年、フランス・グランプリにて。今も語り草となっているジル・ビルヌーブとルネ・アルヌーの二人が壮絶なそれでいてクリーンなバトルを演じたレース("autosport.com"より) "YouTube"の動画より、1979年、フランス・グランプリでのジル・ビルヌーブとルネ・アルヌーによるバトル YouTube - Gilles…
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駆け抜けた”天才” ジル・ビルヌーブ (その4)

母国カナダ・グランプリで初優勝を果たし、表彰台の中央で喜びを表すジル・ビルヌーブ("autosport.com"より) ◇    ◇    ◇    ◇    ◇ 母国カナダで初優勝/喜びの裏で 1978年、フェラーリ312T3とカルロス・ロイテマン(No.1ドライバー)、それにジル・ビルヌーブのグランプリが始まった。…
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駆け抜けた”天才” ジル・ビルヌーブ (その3)

1977年F1日本グランプリ・レースを走るジル・ビルヌーブ "autosport.com"より ◇    ◇    ◇    ◇    ◇ 1977年F1日本グランプリ・レース決勝グリッド 上位8台+19位~(中略) 「フェラーリ312T2」宙を舞う 再度、日時を記す。 1977年(昭和52年)…
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駆け抜けた”天才” ジル・ビルヌーブ (その2)

フェラーリ312Tのコクピットでクルーと打ち合わせをするG.ビルヌーブ。 photo:東映配給「Pole Posision」プログラムより 最終戦/日本グランプリに来日 4ヶ月後の10月始め、母国で行なわれる第16戦カナダ・グランプリ(モスポートパーク)にジル・ビルヌーブは、フェラーリ・チームのナンバー2ドライバーとし…
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駆け抜けた”天才” ジル・ビルヌーブ (その1)

伝説の名ドライバー列伝、今回は、ジル・ビルヌーブです。個人的に"ジャック・ビルヌーブを応援する!!!"というブログを続けているジャックファンの私にとって、ジルはあくまでジャックの父という存在なのですが、ジルのファンにとっては、やはり永遠の存在なのではないかと思います。それでは、今日から何回かに分けて掲載していきたいと思います。 …
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崇高の騎士 アイルトン・セナ (最終回)

セナ・プロ対決ラウンド2. 鈴鹿サーキットのパドックで行なわれた「1988年日本グランプリ祝勝会」で、セナは本田宗一郎氏と固い握手をした。心なしか、その眼は潤んでいた。 振り返ってみれば、スタートで出遅れたセナが猛然と追い上げを敢行し、ついに先行するプロストを射程距離にとらえた。その時、天の恵みか、曇り空から雨が降ってきた。…
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崇高の騎士 アイルトン・セナ (その2)

日本のファンに初お目見え/1987年 1986年はロータスがルノーを選んだように、マクラーレンはポルシェの、そしてウイリアムズはホンダの、それぞれV6ターボ・エンジンを選んでいた。まさにターボ戦争一幕めの年でもあった。こんな中にあってセナは、ルノーの非力さと信頼性に思い悩んでいた。反面、彼はシーズン中盤、ウイリアムズ搭載のホンダ・…
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崇高の騎士 アイルトン・セナ (その1)

第1回は、アイルトン・セナです。13年前の5月1日、イモラのレースでの事故がありました。当時、セナファンだった私には、テレビが映し出した事故の映像が信じられず、言葉に出来ない大きなショックを受けました。 それから、13年の月日が経ちました。ファンにとっては、未だその走りの輝きは消えることのないセナのものがたりを今日から何回かに分け…
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